成功大学合気道社
1.道場までの道のり
インターネットで手に入れていた台湾の道場リストには台北や台中にある道場はたくさん載っていたのですが、台南市にある道場はわずか一つだけでした。名前は合氣道協会訓練中心、住所は民権路3段148号、指導者は 黄富逸先生、練習時間は不明。この情報を頼りに道場を探すことにしました。
民権路は駅からかなり離れたところにあるので、レンタサイクルを駅前で借りることにしました。ところが貸しバイク屋は駅前にたくさんあるのにレンタサイクル屋は全然見つかりません。試しに貸しバイク屋のおねえちゃんに自行車(自転車)を貸して欲しいというと、ゲタゲタと笑われてしまう始末。
台湾はバイク社会のため、レンタサイクルなどというものはほとんど存在しないようなのです。そこで自転車屋を探して無理やり自転車を借りることにしました。大学の近くに行けば自転車屋があるはずだと思い、駅に一番近い国立成功大学 の辺りをうろちょろしていると、ありました!店のおばさんに自転車を借りたいということを説明するのに苦労しましたが、何とか理解してもらい、パスポートを預けることを条件にボロボロの自転車を借りることができました。
狂ったように走る台湾バイクの波に呑まれながら軋む自転車をこいで行きました。ところが民権路の該当住所に行ってみると、普通の家が建っているだけです。付近をいろいろ見て回ったのですが、合気道という字も、体育館らしきところも見つけることができません。う~む、台南では合気道はあきらめざるを得ないか、と考えていたとき、ふと思い浮かんだのです。そうだ、さっきの大学、合気道部があるかもしれない・・・。
来た道を戻り、国立成功 大学で合気道部を探すことにしました。成功大学は、光復、建国、敬業、成功、自強、勝利の7つの校区(ブロック)に分かれた大きな大学です。まず駅に一番近い光復校区に入りました。学生から情報が得られそうなところは、と校区の地図を見ると「学生活動中心」が入り口のすぐ近くです。学生活動中心の中に入るとたくさんの部室が集まっていました。こういう場所には大抵クラブの郵便受けがあるはずだと推測して探すと、やはりありました。そこには「合氣道社 」の名前が。
そこでその辺で話しこんでいる女子学生に英語で「Excuse me. Could you tell me where Aikido club is? (すいません、合気道部はどこにありますか?)」と話し掛けると、「英語よ、英語よ!」と騒ぎになってしまいました。そこで日本語で同じ質問をすると、今度は「日本語よ、日本語!」ともっと騒ぎになりました。幸い野次馬の中から英語が分かる学生が出てきて合気道部の場所を教えてくれました。道場は同じ建物の地下にありました。その時間には誰もいなかったのですが、入り口に練習日時が台湾語で書いてありました。
2.成功大学合氣道社のようす
翌日、合氣道社(合氣道部)の練習に参加。私が訪問したのは台湾の大学ではちょうど新学期の始まる月で、入部希望の新入生が見学に来たり練習に参加したりしにくる時期でした。黒帯は少なく、日本では余り見ない赤や黄色の帯をしている学生がほとんどでした。
道場は手前側半分に畳がひかれていて、向こう側が板張りになっており、向こう側で空手かテコンドウの練習をしていました。中に入ってまず驚いたのは畳です。日本にあるようなビニール(プラスチック?)製の表面が付いたものではなく、本物の畳なのです。それも恐ろしく古い。あちこちがはがれて中身が出てきていました。受身を取るたびに道着がイグサにまみれてしまいます。
学生に聞くと昔からずっと取り替えずに使っているといっていたので、クラブ創設(1988年)以来取り替えていないのかもしれません。
号令に合わせて準備体操をしたあと、方福建先生の指導が始まりました。このクラブの指導には、黄富逸先生と方福建先生が来られているということで、私が探していた台南合氣道協会訓練中心と関わりが深いようです。方福建先生は合気道4段。先生の説明は中国語で行われているので何を話しているのかは分かりませんでしたが、技を見たり掛けられたりした感じでは、太極拳の影響があるようでした。学生に聞くと台湾の合気道の先生は合気道と太極拳の両方をやっている人が多いとのこと。
少林羅漢拳、詠春拳などもやっているそうです。多くを学んで自分のスタイルを構築していくのが台湾では結構当たり前なのかもしれません。合気道が一番、あるいは合気道は武道の全てを含んでいる、だから合気道だけやればよいというような狭量な見方をせず、いろいろなものを経験していこうと考えるのは健全な姿勢だと感じました。
練習中、先生は突然私を前に呼び出して、みんなの前で一教から四教までやるように指示されました。私が技をかけている間に見ている生徒に対して説明をされていたのですが、何を言われているか分からず冷や汗ものでした。