My jouney of aikido

セブ Cebu

セブ合気道センター

1.道場までの道のり

フィリピンのセブ島と聞いて普通の人が思い浮かべるのは「リゾート」とか「ダイビング」という言葉ではないでしょうか。
セブ島と聞いて「合気道」が思い浮かぶ人は、普通、いません。実際、セブは空港があるマクタンをはじめ有名なビーチがたくさんある南国の島です。私もまさか合気道の道場はないだろうとたかをくくっていたのですが、念のためセブ市在住のフィリピン人の友人に情報収集してもらったところ、四つの道場がセブ市内にあるらしいことが分かりました。
 道場名は、Cebu Ki Society、Musubi Aikido、Cebu Aikido Center、Aikido Cebu。
実はこれ全部組織が違うんです。
どれがどこに属しているか名前から分かりますか?最初のCebu Ki Societyは、そう、氣の研究会(心身統一合氣道)です。合気会はどれでしょうか?ムスビなんて名前が付いているから、Musubi Aikidoが合気会かと思いきや、これが違うんですね。
実は最後のAikido Cebuが合気会でAikido Philippines(合気道フィリピン)に属する団体です。しかし、Aikido Cebuは私がセブに行った時には既に消滅していました。
 それでは、Musubi AikidoとCebu Aikido Centerはどこの組織なんでしょうか?実は、フィリピンには、アンブロシオ・J・ガヴィレノという フィリピン人が合気道をもとに創設したコンバット・アイキドーなる武術があり、Musubi Aikidoは、その支部なのだそうです。ガレヴィノ氏は藤平光一氏がフィリピンに合気道を広めに来ていたころの生徒だったそうです。
この系列の道場はアヤラ・センターというセブ市で最も大きくて新しいショッピングモールの中にありましたが、私が訪れた時には練習していませんでした。一方、Cebu Aikido Centerの方は、事前の調査では組織が分かりませんでした。
 私がセブ市を訪れた水曜日は、Cebu Ki SocietyとCebu Aikido Centerが別のところで同じ時間に練習を行っていたので、正体不明のCebu Aikido Centerに行くことにしました。

2.セブ合気道センターのようす

ホテルの電話帳を繰ってみると、セブ合気道センターは市の外れにあるTalambanにあるらしい、ということが分かったので、練習時間より数時間前に場所を確認するために歩いて行ってみました。しばらく道路沿いに歩いていくと、廃車置場のような小さな自動車修理工場の入り口に、Cebu Aikido Centerとくすんだ文字で書いてある壊れた看板を見つけました。
こんなところで合気道の練習をしているのかと、半信半疑で敷地に入り、働いているおじさんに合気道はどこでやっているのかと聞くと、無言で事務所らしきところを指差されました。

事務所の中に恐る恐る入ってみると、昼間にもかかわらず中は薄暗く、おばさんが一人座っていました。「あの、合気道の・・・」と話し掛けると、扇子をパタパタさせながら、あぁ、というふうな感じで、入会費が幾ら、月謝が幾らと聞きもしないことを説明しはじめました。
 「いや、入会したいんじゃなくてビジターとして練習したいんです」というと、夏の練習のスケジュールはこの紙に書いてあるからと、話が全然噛み合いません。もう一度、大阪から来てビジターとして練習したいというと、やっと分かったらしく、敷地の奥にある道場に案内してくれました。
 道場は物置小屋のような建物で、茶色のマットが敷き詰めてありました。中にはたくさんの蚊が飛んでいます。道場の正面には曼荼羅のような絵が飾ってあり、天井からサンドバックがぶら下がっています。壁には古そうな道場の説明が写真つきで張ってありました。何年前の写真か分かりませんでしたが、よく見てみると、当時の道場の壁には大先生と藤平氏の写真が飾ってあります。しかし、現在の道場には大先生の写真しか飾ってありません。
 おばさんに質問したところ、この道場は氣の研究会から独立したそうです。伝統的な合気道ではなく進歩した(advanced)合気道をやってるんだよ、と説明してくれました。設立は1977年となっていましたが、Cebu Ki Societyから独立したのがこの時なのか、これより後なのかは分かりませんでした。
余りの胡散臭さにCebu Ki Societyの方に行こうかと迷いましたが、変わったところで合気道を体験するのも面白いと思い、夜になって再び道場を訪れました。ところが練習が始まる時間にもかかわらず自動車修理工場の入口は施錠されており、道場には電気もついていません。敷地に入ろうとすると私を不審者と思った犬が暗闇の中から何匹もワンワンと吠え立ててきました。
 これはどうしたものかと困惑していると、道場の隣の建物でテレビを見ていたあのおばさんがふらりと出てきて、なんだもう来たのかい、という感じで道場のカギを開けてくれました。
 結局、道場生は練習開始時間より後に三々五々やって来て、練習が始まったのは20分以上経ってからでした。なるほど、これがフィリピンの時間感覚なのかと妙に納得。ビジター料は80ペソでした。
先生はTony Pet B. Juanico氏。小柄ながら、身体はがっしりとしています。練習は大人と子供が一緒になって行います。練習のスタイルは至って簡単、初心者には上級者が技を個別指導をして、それ以外の者は乱捕りを行うというものです。
 乱捕りは一人を数人で囲んで行います。攻撃側はどのような攻撃をしてもかまいません。受けは先生が指示した技をどの攻撃に対しても掛けていきます。例えば、先生が「小手返し」というと、攻撃側の突きや正面打ちなどに対して常に小手返しを掛けなければいけません。
型稽古の場合だと、取りの攻撃が指定されているので、受けは異なる攻撃に対応する必要はありませんが、攻撃自由の乱捕り稽古だと、攻撃にあわせて動かなければなりません。学生の時に、このような練習をやりましたが、最近はずっと型稽古ばかりなので、新鮮な感じがしました。このような乱捕り稽古はカンを養うのにとても役立つでしょう。
 捌きはとても単純化されており、どのような攻撃に対しても基本的にスウェー気味の入身で入ります。転換から始まる動きはありません。身体を傾けて右斜め前か左斜め前に出るだけです。先生はそらし(deflection)と言っていました。
 攻撃は打突技と正面からの首締めだけでした。つまり手や道着を持って行う型が全くありません。これは驚くべきことだと感じました。手を持つことがないということは、呼吸鍛錬法が存在しないということです。
手を持って行う練習なしには呼吸力をつけることはできないと思いますが、この道場では鍛錬法のような時間のかかる方法は省略してしまったようです。これは手や道着を持つところから始まる多くの技の可能性が全てなくなっているということも意味しています。
技も数が驚くほど絞られていました。
具体的には、一教、二教、三教、腕がらみ(五教と呼んでいた)、突きに対する入身投げ表(天地投げと呼んでいた)三種類、四方投げ、横面打ちに対する入り身投げと引き落とし。それから二教から指をひねって投げる技、三教からの投げがありました。それ以外の技は全く見ませんでした。
こんなに単純化してしまって大丈夫かと思うくらい単純です。一度説明を受ければ私でもすぐにまねをすることができました。先生も私がすぐに真似してしまうのにびっくりして、技をつぎつぎと教えてくれましたが、そのうちネタが尽きてしまったようです。それにしても一、二、三、五があって四教がないのは不思議な感じがしますが、伝承のなかで消滅してしまったのでしょう。
 当身は軽いジャブのようなものをたくさん叩くという感じで、突きや正面打ちを捌いた時に胴体や顔に当てるというものです。傍から見ると猫パンチのようでした。
 乱捕りでは短刀だけでなく、モデルガンも使っていました。頭に銃を突きつけられた状態から技を掛けたりしているのを見ると、フィリピンではこういう状況設定で練習する必要性があるのでしょう。また藤平光一氏がまだ合気会にいたときに書いた著書「合気道入門」に短銃に対する対処法が載っていたのを思い出しました。もしかすると、その頃の練習の名残かもしれません。
 先生の説明によると、ここの技はストリート・ファイトに使えるように単純化してあり、また技をランク別に分けて指導し、乱捕りを多く行うことですぐに実践に使えるようにしているそうです。しかし、レベルが高くなると「氣」が大切になると言っていました。


練習後に道場の皆さんと記念撮影

セブ合気道センターは水曜日は自前の道場で練習をしていますが、日曜日にはベースラインという市内のリクリエーション・センターで練習をしています。時間は15:00~17:00。ところが氣の研究会のCebu Ki Societyも同じ場所を本拠地としており、同じ日曜日、9:30~11:30に練習を行っています。そこで、ベースラインの施設も見学に行きました。
 ベースラインはフェンテ・オスメニアという公園の近くにあるレストランの名前で、道場はその敷地にあります。壁にはフィリピンの国旗と藤平氏の写真が飾ってありました。下は壁にあった1965年の写真で藤平氏の姿が見えます。
まだ合気会にいらっしゃった時の写真だと思います。この時のCebu Ki Societyの指導者はMax Tianという方だと書いてあります。現在誰が指導しているかなどはわかりませんが、活発な活動をしているようでした。

今回のフィリピンの合気道道場訪問を通じて、文化の伝播とその変容について考えさせられました。インドで始まった仏教が中国や日本という異なる社会環境の中で変容し、土着の宗教と融合していったように、合気道も異なる社会の中で社会事情に合わせて変容したり、土着の武術と融合したりする可能性は十分にあります。
誰が伝えたのか、誰がその後指導したのかなど、さまざまな要因によっていろいろ変化していくのでしょう。