My jouney of aikido

ビエンチャン Vientiane

ラオ国立合気道クラブ

ラオスの首都ビエンチャンにあるラオ国立合気道クラブを訪問してきました。ビエンチャンは、メコン川沿いにあるラオス最大の都市で、その歴史は12世紀に遡ると言われています。現在でも仏教寺院とフランス植民地時代の古い建物が多数残っており、高層ビルがなく、緑の並木道が清々しいとても落ち着いた雰囲気の街です。歩道はいつも人々によって清掃されていて、今まで訪れたどの東南アジアの首都より清潔でした。
現在の人口は推定70万人ですが、街で見かける人影はまばらで、どちらかというと閑散としており、それ程多くの人が住んでいるとは思えません。首都というよりは、地方都市の趣です。朝の出勤時と公務員の終業時間である4時頃から民間企業の就業時間の5時をすぎる頃に最も往来が多いようですが、それ以外の時間はそれほど多くの車は見ませんでした。
 今回訪問したラオ国立合気道クラブは、ビエンチャンの中心にある旧国立競技場の隣に建てられた日本・ラオス武道センター(Lao-Japan Budo Center)で練習をしていました。このセンターは日本政府による一般文化無償資金協力として、JICA(独立行政法人国際協力機構)のイニシアティブの下に建設され、2009年11月に落成したばかりの真新しい武道場です。外観は白地で正面中心に黒が描かれており、おそらく白い胴着に黒帯をイメージしたデザインでしょう。

ラオスは1975年のラオス人民共和国樹立以来、一度も国際競技大会を開いたことがありませんでしたが、2009年に初めて東南アジア競技会(SEA Games)のホスト国になりました。同大会において正式種目であった空手及び柔道の試合をする為に国際基準の武道場が必要なことから、ラオス政府から日本政府に対して資金協力の要請があったのです。入口には、日本の援助で建設されたことが英語とラオス語の二つの看板に書かれてありました。ビエンチャンでは、国際空港や公会堂など様々な施設が日本の援助で建設されており、私も滞在中に、あちこちでJICAのマークと日の丸を目にしました。

 センターの中は部屋に分かれておらず、大きなイベントが出来るように一つの体育館になっており、観覧席がありました。これまでいろいろな合気道道場を訪問してきましたが、これほど規模の大きい立派な建物は初めて見ました。

 閑話休題、この道場では週数回稽古があり、体術は夕方の5時から1時間半、剣と杖をやる日は1時間の練習です。私は、なんとかスケジュールをやりくりをしてそのうち1回だけ稽古に参加することができました。当日の指導者はJICAシニアボランティア(SV)の工藤剛先生と青木清先生のお二人。その日の生徒は15名で、日本人の方が2名いました。

 工藤先生の指導内容は、体の転換、諸手取り呼吸法、片手取り四方投げ、片手取り入身投げ、後ろ取り第二教といった基本技で、掛け方は合気会のスタンダードなものでした。何人かの生徒と稽古をしましたが、中でも黒帯の二人は、良い先生から長く習ってきたのだと感じさせるだけの呼吸力と技の切れを持っており感心しました。ラオスでは、歴代のSVによる指導に加えて、本部道場師範やバンコクの深草師範によるセミナーが行われているそうです。

稽古の後は、道場前に新しく出来たというレストランで、工藤先生、青木先生、日本人生徒の方と食事をし、合気道談義をすることができました。

 工藤先生は、東北大学合気道部出身で、新光証券合気道部のコーチをされており、2002年に退職後SVとして、カンボジアに赴任しカンボジア合気道クラブを立ち上げたカンボジア合気道の父といえる方です(カンボジアにおける工藤先生の活躍については、著書「カンボジア通信 合気道事始めイン・カンボジア」[文芸社]をご覧下さい)。現在はラオスへ2回目のSV合気道指導として赴任されています。

 青木先生は、東北学院大学合気道部出身で、川崎市石川記念武道館の幸徳会で指導をされていました。JICAのシニアボランティア(SV)では第1号の合気道指導者で、ラオス以外にモロッコでもSVとして2年の合気道指導経験をお持ちです。現在は日本・ラオス武道センターのマネージメント・アドバイザーをされています。

 ラオスの合気道の歴史について工藤先生から資料を頂いたので、それを基に現在のラオス国立合気道クラブにつながる流れを簡単に紹介しておきます。

 ラオスの合気道は1996年頃にJICA専門家の飯沼健子氏(現専修大学経済学部準教授)がラオス青年同盟にて練習と指導をしたことに始まります。1997年に国連開発計画(UNDP)のJeffrey Avina氏が時々指導され、彼の不在時には飯沼氏が指導していたそうです。1998年、ラオスに赴任したJICA個別派遣専門家の松木洋忠氏が毎週定期的に指導。1999年、タイの深草師範がビエンチャンで演武会を開催。同年、JICAに対して合気道指導者派遣を要請し、その結果、2年後の2001年11月に青木先生が、ラオス青年同盟に合気道指導者として赴任され2年半指導をされました。そのあとを松長佳正氏が引き継ぎ、現在は工藤先生が指導をされています。

 当初は、一つのスポーツクラブでしかなかったものが、今では国家スポーツ委員会傘下の国家スポーツクラブにまで成長し、メンバーは約80名になっているそうです。このように、いろいろな方々がバトンをつなぐようにして、ラオスの合気道はゆっくりと発展を続けています。今回は残念ながら1回しか稽古に参加することができませんでしたが、次回訪問する機会があればもっとたくさん稽古したいと思いました。

 ビエンチャンは食事が美味しく、のんびりした雰囲気で、人は穏やかでした。特に夕暮れのメコン川を臨みつつ飲むラオ・ビールは最高でした。ここは仕事だけでなくプライベートでも訪れたい街になりました。