My jouney of aikido

マドリッド Madrid

トマス・サンチェス道場

バルセロナのミシェル・フェイレン先生とメールのやり取りをしている時に、マドリッド市内で稽古ができる合気会系の道場があるかどうか尋ねたところ、最も有名でお勧めできる道場としてトマス・サンチェス道場を紹介されました。そこで道場主であるトマス・サンチェス先生に日本からメールを出し、許可を得てから道場を訪問して来ました。
 トマス・サンチェス道場はマドリッドの地下鉄6号線Lucero駅から10分ほど歩いたところに二つあります。まず駅に近い第一道場を訪れ中を覗いてみました。すると小さな事務所にサンチェス先生がいてガーフィールドのTシャツを着た女性の生徒と話をしていました。
 東京からメールで連絡をしたものですと自己紹介をしたところ、先生は英語を余り話せないことが分かりました。困っていると、先生と話をしていた生徒が通訳をかってでてくれました。
 スペインの合気道とその歴史に興味があり東京から稽古をしに来たと説明したら、先生は大喜びして、先生は田村信喜先生(注1)に教えを受けていて、フランス語でかかれた田村先生の著書を大切にしていること、日本の文化に非常に興味があること、合気道ではまだ分からない事があること、またスペインと日本の歴史について調べている事など、いろいろ話して下さいました。そして著書にサインをして私に下さいました。
 じゃぁ、そろそろ第二道場に行こうというところで、通訳をしてくれた女性は実は合気道の生徒でもなんでもないことが分かりました。彼女はこの第一道場で行われているジムに申し込みにきただけで、私が来る数分前に先生に初めて会ったばかりだったのです。先生は、「合気道のアの字も何も知らないのに合気道のことを上手に通訳してくれたから、今日から私たちは友達(アミーゴ)だ!」といって、彼女の肩を抱いて呵呵大笑されました。
 第二道場へ行く道すがら先生は道場について簡単に説明して下さいました。
 「道場は約30年前に立てたが、そのころは第一道場だけしかなかった。ここで合気道を教えつつ、場所を空手、柔道、ボディビルなどにも貸していたんだ。けど、他の武道やスポーツと同じ場所を共有すると合気道の大切な雰囲気が損なわれてしまうと感じて、どうしても専用道場を作りたくなった。そこで20年前に第二道場を近所に設立したんだ。」
 
 第二道場の中はたくさんの古い写真と免状で壁が飾られていました。古い白黒写真を指差しながら先生はスペインの合気道の黎明期について順を追って話されました。
 「スペインの合気道の歴史は北浦康成先生(注2)が1968年に合気道を紹介したことに始まる。北浦先生がスペインの合気道のパイオニアだよ。スペインで最初の公開演武は北浦先生がマドリッドの大学で行った。1970年のことだ。その時、受けを取ったのが若き日の私だよ。当時のスペインには合気道の受けを取れる人がほとんどいなかったんだ。そこで、柔道をやっていた私が受けに選ばれた。あの頃、スペインで日本武道の演武会があった時、他の武道は取りも受けもみんな日本人だったけど、合気道だけはスペイン人である私が受けを取った。」
 「これは1970年に行われたスペインで最初の合気道講習会の時の写真だ。多田先生(注3)、田村先生、北浦先生が指導者してくれた。これは翌年に行われた講習会だ。田村先生、北浦先生、中園先生(注4)が写っている。これは1972年の講習会。多田先生と北浦先生だ。」

「珍しいものを見せてあげよう。これは1971年にイタリアで行われた講習会の修了証書だ。ほら、北浦先生、浅井先生(注5)、千葉先生(注6)、多田先生のサインがあるだろう。このころは、ヨーロッパに合気道を普及しに来た日本人の先生達の仲は悪くなかったから、合同で講習会が行われていたんだ。あれからしばらくして先生達の仲が悪くなってねぇ、私は間にはさまれておろおろするばかりだったよ。」
 「このあたりの写真は1970年代前半のものだ。これは1975年に二代目道主がマドリッドにいらっしゃった時の写真だ。現在の守央道主、田村先生、千葉先生、遠藤先生(注7)が一緒に写っている。みんな若いねぇ。これは私の息子、デビットとロベルトが小さかった時の写真だ。柔道もさせていたんだけど、合気道が気に入ってね。今は二人ともここで指導している。これはテレビに出演して合気道を演武したときの写真。あぁ、その人は合気道と関係ない。親友の一人で闘牛士をやっているんだ。」
「私は国からスペインで最初に合気道指導者として認められた。1974年の事だ(注8)。あの頃はレベルの高い合気道を学ぶためには、フランスから先生を呼ぶか、フランスで行われる講習会に参加しなければならなかった。スペインのレベルはフランスよりもずっと低かったからね。だから日本の武道を学ぶために私はフランス語を学ばなければならなかった。私の息子二人もフランスで合気道を学んだことがある。今ではスペインの合気道のレベルも上がって、スペイン国内でスペイン語でレベルの高い合気道を学ぶ事ができるようになったが、昔はそうではなかった。」
 「これは私の6段の免状。これは息子二人の4段の免状だ。その小さい免状はヨーロッパ合気道連盟(注9)、つまり田村先生が出しているものだ。私はずっと田村先生について合気道を探求し続けている。田村先生から学ぶ事がまだまだたくさんある。」
 既に次男のロベルト先生のクラスが始まっていたのですが、サンチェス先生はそれには全くお構いなしで、道場の中を案内して下さいました。受付には先生の奥さんが座っていて側に小さな犬(メス)がいました。これまでいろんな国の道場を訪問してきましたが、犬のいる道場は初めてです。
彼女は誰かが道場に入ってくると、キャン、キャンと吠えて入口のドアのところへ駆けていきます。またマットの手前までスタタタタッと歩いて行き稽古をしている様子を数秒間微動だにせずジ~っと見つめ、「ちゃんと稽古をやってるわね」と納得すると、また受付にスタタタタッと戻って来るのです。これを何度もせわしなく繰り返していました。
 シャワールームを併設した更衣室には足を洗う場所がありました。練習前に簡単に足を洗えるのでこれは便利だと思いました。また、木刀や杖といった武器を保管する場所もありました。最も面白いと思ったのは、道場の傍らにある大きな階段状の観覧席です。ここに座れば見学者は高い位置から道場全体を俯瞰してみる事ができます。


ロベルト先生


デビット先生


トマス・サンチェス先生

私は長男のデビット先生のクラスから稽古に参加しました。準備体操で正座の状態でお腹を押さえながら前かがみになりつつ大きく息を吐き、吐ききったところで今度は大きく吸うという深呼吸の動作を繰り返しました。これは田村先生が教えている呼吸法の一つです。代々木で行われた田村先生の講習会で経験した事があったので、すぐに分かりました。
 技は座法の呼吸法から始まり、座法一教、横面打ち二教と三教の裏表などをやりました。何人かの黒帯と組みましたが、やはり飛びぬけて上手かったのはロベルト先生とデビット先生でした。この二人と技をやって感じたのは、身体が鍛えられていて中心がしっかりとしていること、基本に忠実な技をかけていること、そして受けに反撃する余裕を与えない、つまり隙のないかけ方をしているということでした。子供のころからサンチェス先生に鍛え上げられたのでしょう。スペイン合気道界のサラブレッド兄弟という言葉が頭に浮かびました。
 デビット先生は私と同年代。そういえばバルセロナのミシェル・フェイレン先生もそうでした。地球の反対側に私と同年代で実力ある人たちがいるということを体験して、身が引き締まる思いがしました。

 夜の9時から始まったサンチェス先生のクラスは、前半がずっと素振りでした。立って素振り、半身半立ちで素振り、四股立ちで素振り、ととにかくブンブン振らせるのです。二百回ほど振ったところで体術の稽古になりました。ここでこの日の稽古で一番段位の高い2人と組み、体術の間はずっと相手を変わらず稽古をしました。
技は諸手取りのバリエーションでした。呼吸法、転換からもたれた上の手への一教と下の手への一教、入身投げ、四方投げをやりました。二人のうち、一人は腕力があり、技の最後に思いっきり力を入れて投げ飛ばそうとしてきました。私は逆らわずに受けをとり、力まずに同じ技をかけて、それ以上の効果を相手に与えられるよう気をつけて技を行いました。
 稽古の終わりに、先生から「あなたを私の道場生の一員と認めたので、いつでも好きなときに戻ってきなさい。」という言葉を頂き大変感激しました。

稽古終了後、先生や生徒と一緒に道場の近くにある典型的なスペイン居酒屋に行きました。道場の生徒で日本人と結婚している人が私のために奥さんと子供を連れて来てくれました。この奥さんが通訳をしてくれたおかげで、先生や生徒と深い合気道談義ができ、楽しい時間をすごす事ができました。

 
<注1>
田村信喜先生:1953年頃から1964年まで合気会本部で内弟子として修業。合気道普及のため1964年に渡仏。現在はフランスで2番目に大きい合気道組織・FFAB(Federation Francaise d’Aikido et de Budo)の中心的人物。合気道8段。

<注2>
北浦康成先生:大先生と二代目道主の下で合気道を学ぶ。スペイン合気会代表。合気会7段。

<注3>
多田宏先生:1964年合気道普及のため渡欧、ヨーロッパ各地で稽古と指導を行なう。特にイタリアでは、イタリア政府公認の財団法人日本伝統文化の会=イタリア合気会を創設。1970年帰国。以後日本とヨーロッパを往復して、指導にあたる。合気会9段。合気会本部道場師範。早稲田大学合気道会、東京大学合気道気練会師範。イタリア合気会主任教授。合気道多田塾を主宰。国際合気道連盟委員。

<注4>
中園睦郎先生:合気会7段。ヨーロッパに合気道を紹介したパイオニアの一人。1960年頃フランスに渡り数年間在住。アメリカ、ニューメキシコにあるサンタ・フェにも長年住む。言霊原理普及活動の指導者。

<注5>
浅井勝昭先生:1965年に合気道普及のためドイツへ。合気会8段。ドイツ合気会師範。

<注6>
千葉和雄先生:合気会8段。1966年英国の柔道審議会内における合気道セクションの師範として招かれて渡英、10年ほど滞在。1976年国際合気道連盟(IAF)創設に際して秘書官を3年間務める。1981年、米国合気道連盟の招きにより渡米、現在サンディエゴ(カリフォルニア)合気会師範。現サンディエゴ合気会師範。

<注7>
遠藤征四郎先生:本部道場師範。合気道8段。合気道佐久道場長。

<注8>
サンチェス先生は1974年11月11日に体育・スポーツ国家代表団 (la Delegacion Nacional de Educacion Fisica y Deportes)からスペインで最初の合気道指導者として認められ、合気道部門の技術ディレクターとして7年間指導を行った。しかし柔道連盟の下で合気道の指導を行うことの矛盾が顕著になり、1982年に合気道技術者協会(la Asociacion Espanola de Tecnicos de Aikido)を立ち上げた。

<注9>
ヨーロッパ合気道連盟:1975年11月に設立された組織であり、合気会本部傘下のヨーロッパ諸国の組織が集まったもの。1978年、カンヌで開かれた総会でEuropean Technical Committeeが創設されたことを端緒として田村先生派とそれ以外のグループに分裂。現在でも基本的に状況は変わっておらず、両方のグループがヨーロッパ合気道連盟として別々に活動を行っている。