中山区訓練中心
1.道場までの道のり
中華民国の合気道界と大阪合気会は実は関係があります。台湾で合気道を初めに指導し普及活動を行った李清楠先生は、田中万川先生のもとで合気道を学ばれました。
長い間、台湾の合気道は李先生が設立した中華民国合気道協会(合気道協会)でまとまっていたのですが、王武雄師範に率いられた全国合気道推広訓練協会(合気道協進会)が1991年に独立、その後、台中市合気道委員会が、続いて合氣道振興会が独立しました。
このような事情を全く知らなかった私は、インターネットで手に入れた台北の道場リストから適当に中山区訓練中心を選びました(中心は中国語でセンターの意味)。中山区訓練中心の住所は新生北路三段50-1、民権西路から歩いていける距離にあります。
実際に行ってみると、新生北路は大きな通りで地道の上に高架の高速道路が走っており車の往来がとても激しいところでした。住所の場所に行ってみましたが、それらしい建物も合気道という字も見当たりません。そこで道行くおじさんに「合気道」と書いて見せると、高速道路の方を指差しました。なんと中山区訓練中心は高速道路の高架の下にあったのです。
練習時間は写真の看板の通り、午前7:00~8:00と午後7:00~9:00。到着した時間が早すぎたために、まだ道場は開いていませんでした。近くの食堂で水餃子を食べて時間をつぶして、7時前に戻ると、何人かが来ていました。合気道の練習に参加させてくださいと筆談で頼むと、快くOKしてくれました。
2.中山区訓練中心のようす
道場の正面には植芝翁先生の写真ではなく中華民国の国父である孫中山(孫文)先生の写真が飾られています。その下には翁先生が書いたように見える「合氣道」の書。更衣室の中にも額が幾つか無造作に置いてあるのでよく見ると、翁先生の銘の入った書でした。これには本当にびっくりしました。高速道路の下の小さな道場の裏の小さな更衣室に翁先生の書が無造作に置かれているとは・・・。
本物か模造品か私にはわかりませんでしたが、もし本物だとすれば、この扱いはなんだろうと思いました。阿部醒石先生が見たら涙を流されることでしょう。
当日指導されていた先生の名前は陳世堂先生、左の写真で鏡の前に立っている方です。先生の動きはとてもやわらかく、後で生徒に聞いたところによると太極拳もされているとのことでした。ここの道場では住吉道場と同じく相手を変わらず最初に組んだ人とずっと練習をするやり方でした。私は下の写真のダイダイ色の帯の人と練習することになりました。
さて練習最初の技「交差取り一教」で手をつかんだら、非常に怪訝な顔をされました。どうやら私の力が強すぎるようです。少し軽く持ってあげたのですが、それでも強いといいます。完全に力を抜いて持たないといけないといわれてビックリ。彼の持ち方はふわりとまるで豆腐を持つような感じで全く力が入っていません。住吉道場の持ち方の対極のようなやり方です。住吉道場では力いっぱい持ってあげることで相手の鍛錬を手伝うという意識があるのですが、ここでは受けも取りも完全に力を抜かなければいけないようです。太極拳の推手の感じにそっくりです。
技はフワリフワリとした感じで力強さはありません。腰を切って押さえ込み(一教)をすると相手の顔が畳にぶつかってしまいました。今ならもう少し上手く崩して抑えることができますが、この頃は畳に叩きつけるような野村師範の一教を真似ようとしていたので、とても押さえ込みがきつかったのです。
帰国後、全国合気道推広訓練協会の住所が中山訓練中心と同じだということが分かりました。つまり私が尋ねたのは李師範の合気道協会から独立した合気道協進会の道場だったのです。いきなり押しかけて練習相手を畳に叩きつけて・・・、いま考えると冷や汗ものですが、言葉が余り通じなかったのが幸いして何事もなく帰ることができました。