My jouney of aikido

ムンバイ Mumbai

合気道ムンバイ道場

マハラシュトラ州の州都ムンバイの道場を訪ねてきました。ムンバイは東京に匹敵する人口を有する大都会です。最近はデリー近郊のグルガオンやファリダバード、バンガロールなどが製造業で台頭してきており、ムンバイのインドにおける経済的な地位は相対的に下がったとはいえ、今でもインド経済の中心地である事には代わりありません。
 今回訪問した合気道ムンバイ道場は、アメリカのフランク・ドーラン師範の下で合気道を修行してきたブライアン・リバーマン先生が設立した道場で、カリフォルニア合気道協会を通じて合気会に所属しています。ブライアン先生は1984年にカリフォルニアで合気道を始め、現在4段。これまでにカリフォルニア西合気道道場(Aikido West dojo in California)、モロッコのカサブランカにあるマグレブ道場(Aikido Schools of Magreb in Casablanca)などで指導をされてきました。
 先生が合気道道場を開くきっかけになったのは、ムンバイにあるインターナショナル・スクール(American School of Bombay)で教職を得たことでした。
 「ムンバイに来てから合気道道場を探しまわったけど、一つも見つけることができなかったんだ。モロッコにも合気道道場があったのに、こんなにたくさんの人がいるインドに合気道をやっている人が全然いないとは思いもしなかったよ。」と先生は苦笑いしながら話されました。当時、インドにはニュー・デリー道場以外に合気道道場は一つもなかったのです。
 結局、先生は道場を探していた時に訪問した空手道場に場所を借り、自分で道場を設立することになりました。現在はAmerican School of Bombayの中にある体育館に場所を移し、週3回指導をされています。

 先生に連絡をとり訪問しようとした日は、ちょうどガネーシャ祭り(写真上)というムンバイで最大の祭が行われる日で道場はお休みでした。ガネーシャは象の頭をしたヒンドゥの神様で、富をもたらしてくれる日本の大黒様のような存在です。何か新しい事を始めるときにお祈りをすると良いそうです。
ガネーシャ祭りの日は、人々が土で作ったガネーシャ像を歌いながら浜辺まで運んで海に流すため、毎年大変な混雑となります。その人の多さは日本の元旦の初詣のようです。ムンバイ道場は週末にも稽古を行っているのですが、仕事が忙しかった事もあり、結局訪問できたのはガネーシャ祭りの一週間後でした。
American School of Bombayは、マヒム・クリークという池の側に新たに開発されているBandra Kurla Complexというビジネス街の一角にありました。入口まで行くと、警備員に「訪問者の名簿にあなたの名前がない。」と中に入ることを拒否されてしまいました。今日訪問することを事前に連絡していなかったためでした。結局、警備員にブライアン先生と連絡をとってもらい、入口まで迎えに来てもらう事ができ、中に入ることができましたが、これほど警備が厳重なところは初めてでした。
 この日の生徒は7人。年齢は20代から30代。全員白帯で一人を除いて合気道歴は1年未満でした。道場に所属する生徒数は10数名で有段者はまだいないとのこと。稽古の内容は肩取りから行う基本技でした。先生はフランク・ドーラン師範の影響を感じさせる大きく丸い捌きで技をかけ、技のポイントを一つ一つ丁寧に指導されていました。生徒の動きはまだつたないものでしたが、正しい基本を指導されていることが感じられました。
 稽古後、生徒に囲まれて「曲がらない腕はできるか」とか「思いっきり持たれても本当にかけられるのか」といった質問を受けました。合気道をしている日本人に会ったのは初めてだったこともあり興味津々といった感じで、合気道のことをもっと知りたいという気持ちが伝わってきました。

ブライアン先生は、「モロッコで指導していた時は、フランス語を流暢に話す事ができなかったために合気道の術理や理念を生徒に理解してもらう事が十分にできなかったが、こちらでは英語が通じるので生徒の吸収が速い。またモロッコでは労働者階級の若者が多く、格闘術としての合気道に興味があったのに対して、インドの生徒はどちらかというと知識レベルが高く合気道の哲学にも興味を示してくれている。」とおっしゃっていました。
 私が調べた限りではインドの合気道道場はまだ二つだけしかなく、合気道人口もおそらく100人に満たないでしょう。インドの合気道の歴史はまだその第一歩目を踏み出したばかりなのです。