My jouney of aikido

プノンペン Phnon penh

カンボジア合気道協会

カンボジアの伝承によると、プノンペンという街の名前は、14世紀末、裕福で信心深い仏教徒であったペン夫人がメコン川を流れて来た朽ち木の中に仏像を見つけ、川を見下ろす丘(クメール語でプノン)に祠を作りこれを手厚く祀ったことに由来するそうです。ペン夫人が仏像を祀った丘には、今でもワット・プノンという寺院があり(左の写真)、人々の信仰を集めています。
 この伝説は東京都足立区にある千住の名前の由来を思い起こさせます。14世紀初め頃、新井図書政次という人が戯れに荒川で網打ちをしていたことろ、千手観音像が網にかかったため、これを自宅に安置し供養しました。その後、息子の新井兵部政勝がその像を勝專寺(現足立区千住)に移安し、この地を千手(せんじゅ)と呼ぶようになったという伝承があります。国が違っても似たような話があるのですね。
 
 さて、私がプノンペンに到着した当日、カンボジア日本人材開発センター(Cambodia Japan Cooperation Center)というところでフェスティバルが行われ、カンボジア合気道協会が合気道の演武を行い、日頃の練習の成果を披露すると聞いていたので、早速その様子を見に行きました。
 
 同センターはカンボジア最大の国立高等教育機関である王立プノンペン大学の敷地内に同大学の一機関として2004年に設立され、市場経済化促進のための人材育成とカンボジアと日本の交流を目的として活動をしています。この日のフェスティバルでは、合気道以外に剣道とアンコール時代から伝わるカンボジアの伝統武術とされるボッカタオ(Bokator)の演武が行われました。また、ひな祭りのひな壇や日本の書が飾られ、屋外では餅つきも行われていました。
 
 現在、カンボジア合気道協会において指導をされているのはJICAのシニア海外ボランティア(SV)である金子信一先生です。先生は東北大学合気道部出身で、カンボジアで最初に合気道を指導された工藤先生の後輩にあたります。定年退職後、工藤先生に触発されJICAのSVとしてモロッコへ駐在し合気道を指導されました。プノンペンにあるいくつかの道場で定期的に指導をされており、この日は演武会のため非常にお忙しそうでした。

演武は、子供たちによる基本技に始まり、女性二人による演武が行われ、金子先生やその他有段者がそれに続きました。そして合気道協会の会長であるNang Ravuth(ラブート)氏がトリを務めました。それぞれの演武が終わる度、流れるような動きと厳しい投げ技に観覧席から盛んに拍手が送られました。
 
 私が興味を惹かれたのはボッカタオです。音楽に合わせて演武することや低い姿勢の構えから肘打ちや回し蹴りを多用する打撃のスタイルは古式ムエタイにそっくりですが、フィリピンのカリのような短棒を使う型やバトンのように長い棒を使う型もありました。組手演武では飛んだり跳ねたり韓国のハプキドーとそっくりの動きをしていて派手で力強く見応えがありました。

それにしても、カンボジアに昔からこのようなアクロバティックな武術があったのか、アンコール時代から伝わる武術とは本当なのか、あのクメール・ルージュの時代を伝承者が生き残れたのかいろいろ疑問が出てきました。そこで帰国後、調べてみると、この武術はサン・キムサンという1945年生まれの元ハプキドー師範が始めた新興武術であることが分かりました。
彼は1975年に難民として逃れたタイでハプキドーを学び、1980年に渡米しハプキドー師範として十数年間指導を行いました。その後カンボジアに帰国し、クメール語の「タカオ」(格闘)という言葉の頭にボクシングの「ボックス」を組み合わせ、ボッカタオという名前で武術を教え始めたそうです。彼は若い頃に武術家であった叔父やその他の伝承者からクメール武術を学び、帰国後も伝承者を捜し出してその技を学んだとされていますが、それらの技術がいま彼が教えているボッカタオそのものであるかどうか分かりません。
近年になって出て来た武術の多くは、さまざまな武術の要素を組み入れており、その来歴を因数分解することは非常に難しいものとなっていますが、少なくとも私が見た限りボッカタオは、古式ムエタイとハプキドーの技を幹として、棒や布を使った技を組み入れて創作されたものではないかと推測しています。
 
 閑話休題。カンボジアの合気道は、現在ラオスで指導されている工藤先生がSVとして2002年に派遣されたことに始まります(カンボジアにおける工藤先生の活躍については、著書「カンボジア通信 合気道事始めイン・カンボジア」[文芸社]をご覧下さい)。その後、青年海外協力隊の隊員(JOVC)である篠崎秀紀氏が指導を引き継がれ、カンボジアの合気道の基礎ができましたが、それから1年弱の間、日本人指導者が不在であったため一時期活動が停滞してしまったそうです。
 
 現在は、金子先生がボランティアとして合気道普及と若手指導者の育成のため活動されており、プノンペン及びその近郊では、Zaman International School、Olympic Stadium、Royal University of Law and Economics(RULE)、ARK Tuol Krasang、Pour un Sourire d’Enfant (PSE)、International School of Phnom Penh(ISPP) の6カ所で合気道クラブが活動をしています。今回、私はオリンピック・スタジアム・クラブとRULEクラブの二カ所を訪れて稽古をすることができました。
 
 オリンピック・スタジアム・クラブの稽古は、仕事が終わってからトゥクトゥクを拾って駆けつけたので、練習時間は既に半分以上終っていましたが、なんとか参加することができました。(プノンペンには公共交通機関はないようです。こちらのトゥクトゥクはインドで見かけるような一体型の三輪タクシーではなく、二輪バイクの後ろに荷台(座席)をつなげた乗合タクシーで、スピードがとても遅くメーターがありません。値段は全て交渉でした。)
 
 私がスタジアムに駆けつけた日、SHINee(シャイニー)という韓国の男性5人グループのライブ・コンサートがあり、敷地内に若者が殺到しており大変混雑していました。カンボジアにも韓流ブームが来ていたのですね。スタジアムの周りには会場に潜り込めないように有刺鉄線が敷設されていて警察官が警備をしていました。
そこで警察官に体育館の場所を聞いたのですが、英語が通じず全く相手にしてもらえません。仕方なく歩き回って探した所、メイン・スタジアムの中ではなく、併設されている体育館の中に道場があることが分かりました。

体育館では合気道以外に、テコンドー、レスリング、卓球などの練習が行われていました。パズルのような形のマットを敷いただけの小さな道場で、生徒は数名でした。2月は乾期で最も過ごしやすいと聞いていましたが、それでも暑く、稽古着に着替えるだけで汗が出てきました。
今度、昇段審査を受けるという女性(日本語を話せる方でした)がいたので、先生はとても丁寧に技のポイントを指導されていました。ここで私は合気道協会会長のラブート氏と稽古をすることができましたが、今回は時間がなかったためカンボジアの合気道についてじっくりお話を聞くことはできませんでした。
 
 次に訪れたRoyal University of Law and Economics(王立法律経済大学)内にあるRULE道場の稽古時間は、カンボジア出国のフライト出発時間の直前だったため、大学内にタクシーを待たせて45分だけ稽古をしました。この道場は卓球場として使っていた場所にマットを敷いた16畳程度のとても小さなクラブでした。更衣室もシャワールムもなく、道場の端にカーテンを敷いただけの鞄置き場があり、そこが更衣室のかわりになっていました。
「JICAの支援でこれでも随分きれいになったんだよ」と金子先生は笑っていらっしゃいました。この道場では、生徒が全くいなくなってしまった時期もあったそうですが、私が訪問した時には有段者も2名いたので、また活動が復活して来ているのかもしれません。私は稽古が終わる前においとまをしてタクシーに飛び乗り、濡れた胴着を抱えたまま空港に直行しました。

どちらの道場でも金子先生はできるだけ分かりやすく技を指導されており、日本語が分からない初心者には、技の日本語名を覚えさせる為、一つの技を教えるたびに復唱させていました。このように丁寧に指導していらっしゃいましたが、カンボジアではなかなか生徒が定着しないので苦労しているとのことでした。
このようなSVの方々の姿を目の当たりにし、今回の旅でも恵まれた環境にいながら自分の稽古に甘さの残る己の姿を顧みて、更に精進しなければと反省したのでした。