練武館道場
1.道場までの道のり
このホームページを見ている人から「次はどこに行くの?」と聞かれる事が多くなり、そろそろ次の道場を訪問したいなと感じていたところ、上司からタイへの出張を命じられました。クアラルンプールの YMCA道場を訪問したのは一年以上前のこと。それ以来、仕事が忙しく海外に行く余裕は全くありませんでした。今回の出張も過密スケジュールで合気道に時間が割けるかどうか予測がつきません。しかし、この機会を逃すと次に海外の道場を訪問できるのがいつになるか分からないので、バンコクの道場を探す事にしました。
バンコクに合気道の道場があることは、4年ほど前に突撃訪問したチェンマイ大学合気道部の方から聞いたことがあり、知っていました。そこで、「タイ」「合気道」という二つのキーワードでネット検索をしてみるとタイ合気道協会のホームページがすぐに見つかりました。
ホームページによると、バンコクには幾つか道場があり、その中心に錬武館道場があるようです。そこで錬武館道場で指導されている深草師範に稽古をしたい旨をメールで事前に連絡して、訪問する事にしました。
錬武館道場は、タイ合気道協会の本部ということもあり、日曜日と祝日を除いて毎日稽古をしています。場所はバンコクで最もにぎやかなスクンビット通りから少し入ったところにあり、公共交通機関で行く場合は、BTS(Bangkok Transportation System)のスクンビット線に乗りプラカノーン(Phra Khanong)駅で下車します。駅から歩いて数分のところです。
協会のホームページにはSoi67とSoi69の間にあるマクドナルドの裏にあると書かれていますが、実際にはマクドナルドはありません。おそらく閉店してしまったのでしょう。マクドナルドを探してSoi67とSoi69の間を行ったり来たりしている私を見て、バイク・タクシーのおじさんが「どこにいきたいのか」と話し掛けてきてくれたのですが、英語が全く通じませんでした。
「McDonald’s」「Aikido」と言っても知らないようです。結局、いろんな人に質問してやっと道場を見つけることが出来ました。
2.錬武館道場のようす
道場はAct&Artsという演劇と音楽の学校が入っているビルの2階にありました。2階にあがる階段の側に立派な看板がかかっていたので、稽古に来た人に写真を撮ってもらいました。
道場の正面には神棚があり、それを挟むようにタイの国王と女王の写真が飾られていました。また正面左の壁には大先生、二代目道主、現道主の写真と書が飾られていました。左の壁は一面鏡になっていて、右側の窓から入ってくる光を反射して明るい感じがします。足元は畳ではなく柔らかいマットの上に白い帆布が敷いてありました。
日本では帆布を敷いた道場は見たことがありませんが、海外の本格的な道場は帆布を張るのが一般的なようです。私が昔通っていたアメリカの道場も帆布でした。一枚の布なので汚れた部分だけ張り替えるわけにいきませんから、ケガで出血をしたときには血痕を残さないよう大変気を使った覚えがあります。
天井近くに6台の小型の扇風機があり、道場の隅には二台の大型の扇風機が置かれていました。夜は比較的涼しいとはいえ、やはり南国、扇風機なしで運動するのは辛いはずです。扇風機が全く無かったクアラルンプールの道場の暑さを思い出しました。
入口近くには、道場の有段者の名前を書いた木の札が掛けてあり、珍しいと感じました。日本の道場は、公営の体育館や武道館を利用している事が多く、合気道専用の道場は余りありません。今、道場に木の名札を掛けているのは大学の合気道部ぐらいではないでしょうか。
道場の横にある事務所に入ると日本語を話せる女性がいました。「今日は、5時から6時まで基本技のクラス、6時半から7時半までグンジンさんの教える一般クラス、8時から9時は深草先生が杖と木剣のクラスを教えます。どれに参加したいですか。」と聞かれました。
全部参加したいと言うと、「そんなにやったら疲れるから、基本クラスは見るだけにして、一般クラスから参加した方がいい。」とアドバイスしてくれました。すでに仕事で疲れていたこともあり、彼女のアドバイスに従って、基本クラスは見学することにしました。名前、住所、段位、師範の名前などを台帳に書いて、300バーツ(約千円)をビジター料として払いました。
稽古が始まるまで、少し彼女と話をしました。彼女はスワンニー・ペーカオさん。約20年前合気道を稽古するため来日し、ウドン屋で働きながら本部道場で稽古をしたことがあり、それで日本語が話せるようになったそうです。現在4段とのこと。今日は、正式なクラス以外に、スワンニーさんが教えるレッスンが1時からあったそうです。
今年9月7日から13日に国立オリンピック記念青少年総合センターで行われる国際合気道講習会に参加するので日本にまた行く予定だとおっしゃっていました。私はつい最近まで大阪にいたので、東京でそのような講習会があることは全然知りませんでした。案内のチラシを見せてもらうと第9回IAF総会と書いてありました。詳細は分かりませんがおそらく総会と講習会が並行して行われるのでしょう。
一般クラスの先生のことを「グンジンさん」と呼ばれたことが気になって、あだ名なのかと思い聞いてみると本当にタイ軍の軍人の方だそうです。「指導はタイ語だけど、心配ない。ココロで分かります。」と胸を指差して言われました。
3.基本クラス
基本クラスの指導をされたのはプラウィットさん(左の写真で袴をはいている人)でした。体の転換を手始めに、まず逆半身片手取りの状態から各種の入り身の動作を稽古していました。具体的には、側面への入身から呼吸投げ、側面への入身から内回転して前方へ呼吸投げ、側面への入身から外回転して呼吸投げなどです。
その他、逆半身片手取りからの一教の表や入身投げを行っていました。タイ語で説明されているので、何を言っているのか分からないはずなのに、何を伝えようとしているのかよく分かりました。基本技を系統立てて覚えられるように配慮して教えていると感じました。
習っている人たちをよく見ると帯の色が変わっているのに気がつきました。日本で見慣れた白や茶色だけでなく、二色を組み合わせた「水色+緑」や「橙色+水色」がありました。
後で深草師範に聞いたところ、タイ合気道協会ではタイ人の国民性を考慮し生徒のやる気が持続するように、初段を取るまでに10階級を設け、各級毎に帯の色が変わる仕組みにしているそうです。ところが帯には10種類も色が無いので、別の色を帯の先につけることで種類を増やしているということでした。
日本では5級から昇級が始まることを考えると、ステップが2倍あるということです。また、審査では日本よりも高めの審査基準を課しているので同じ級や初段でも日本よりレベルが高いはずだと師範はおっしゃっていました。
4.一般クラス
一般クラスから私も稽古に参加しました。一般クラスは曜日によって深草師範が指導される日と他の先生が指導される日があり、この日の指導者はD・ユワボーンさんでした。身長はそれほど高くないのですが、軍隊で働いているだけあってがっしりとした体躯で迫力があります。
稽古にはテーマがあり、この時は相半身片手取り(いわゆる交差取り)から掛ける技でした。まず裏三角へ落とす呼吸投げから始まり、そのちょうど反対の動きになる天秤投げ、四方投げ、二教などを練習しました。先生は交差取りの状態から相手の攻撃を受けないよう足裁きを正確に行うよう指導されていました。動きに隙が無く安定感とスピードがあり本当に強そうです。
二人で行う練習以外に全員による掛稽古があり、全ての人と組む事が出来ました。みな基本に忠実で正確な技を心がけている事がよく分かりました。
生徒の構成を見ると、タイ人以外に外国人が数名いました。母国で合気道を始めてタイでも続けている人が多いとのことです。皆がタイ語と英語を交えながら和気藹々と練習している姿に、国際都市バンコクの特徴が現れていると感じました。
5.武器クラス
続いて深草師範の指導される武器のクラスに参加しました。この日は木剣は使わず、杖の素振りと組杖の稽古でした。まず直突き、返し突き、後ろ突きなどの基本の素振りをやり、続いて正面打ち後ろ突きなどの打ち込みを行いました。さらに八双からの正面突きや後ろ払いなど八双返しからの素振り、そして片手遠間打ちなどをやりました。
次に十三の杖をやったのですが、この辺りから普通の汗がだんだん冷や汗に変わってきました。まともに杖を使ったのはアメリカの道場以来、およそ7年ぶりだったので、身体が思うように動いてくれません。また順番をほとんど忘れていたため、回りの生徒の動きをちらちら見ながら真似をするので精一杯でした。
そして組杖になると、お手上げ状態になりました。師範の動きはシャープで、技には重みと締まりがあり、とてもまねできそうにありません。師範は私の無様な動きを見かねて、ワラポットさんという上手な方と組ませてくれました。 ワラポットさんのリードに従い一つ一つの動きを覚えようと必死でやっているとあっという間に1時間が経ってしまいました。
わずか1時間でしたが、大きな課題を得たように感じました。私はアメリカ留学中にAikido of Madison のJohn Stone先生に武器の基本を教えていただいたのですが、それをほとんど忘れている事がよく分かりました。深草師範によると、もともと武器は教えていなかったのだけれども、欧米から来ている生徒が是非教えて欲しいというのでクラスを開設されたそうです。
欧米で武器の練習が盛んなのは故斉藤守弘師範の影響だろうとおっしゃっていました。師範も斎藤師範のお弟子さんと一緒に稽古して太刀や杖を身に付けたそうです。とはいえ師範は「合気道の体が出来ていないのに武器ばかり練習しても上達しない。体術をしっかりやるべきだ。」とおっしゃっていました。
海外(特に欧米)の合気道家の多くが組杖や組太刀に慣れ親しんでいるのは事実だと思います。例えばAikido of Madisonでは初段を取るにも組杖や組太刀ができなければなりませんでした。袴をはいている人で素振りや三十一の杖をやったことがない人はいなかったように思います。
カナダで訪問した道場でも武器の稽古をしていました。武器の稽古の是非についていろいろ議論や意見があることは承知していますが、個人的には体術も武器もできるのがよいのではないかと考えています。今回、タイの方々が稽古をしているのを見てその感を強くしました。
稽古の後、深草師範に誘われ、スワンニーさんとワラポットさんと一緒に先生の行きつけの店に飲みに行きました。タイ人は稽古の後、飲みに行くという習慣がなくちょっと付き合いが悪いと師範は苦笑されていました。日本では稽古の後が楽しみで道場に来ているような人が多いので(私もその口ですが)、ちょっと意外な感じがしました。
6.上級クラス
「バンコクに一週間ほどいるのなら、また稽古に来なさい。」と師範に言っていただいたのですが、仕事がびっしり入っていたためなかなか行く事ができませんでした。帰国前夜にやっと時間ができ、師範の指導される上級クラス(8時から9時)に参加する事ができました。
この日の技は全て両手取りから始まり、四方投げ、入身投げ、小手返しなどを稽古しました。師範が強調されたのは、相手の攻撃を受けないように、腕を通じて相手を少し浮き上がらせたり入身で捌くようにして、技を掛けなければならないという事でした。
例えば、両手を持たれた状態から捌くことなく右手に四方投げをかけようとすると、相手は左手を放して顔に当身を入れる事ができます。この場合、相手が手を放しても当身ができないように技を掛ける必要があります。入身投げや小手返しも同様で、しっかり入身をして相手と同化し攻撃を受けないようにしなければなりません。
一つの技をある程度二人で練習して、続けて全員で掛稽古を行いました。二人稽古と掛稽古を組み合わせて行うのは錬武館道場の練習のスタイルのようです。全員と必ず手合わせできる良い方法だと感じました。
深草師範とタイ合気道協会については「合気道探求 第26号」に詳しく載っているので、参考にしてください。