勇気修道館
夕暮れのハノイの街は騒音と排気ガスで溢れていました。家路を急ぐ無数のバイクが川を遡上する魚の群のように、やみくもに前に進み、誰一人として道を譲ることはありません。言い争ったりする人はほとんどおらず、ただクラクションとエンジンの音だけが聞こえます。
皆この避けられない辛さを甘受しているようでした。急激な都市化の副作用に修行僧のごとく淡々と耐えられるのは、彼らの芯の強さの現われなのでしょうか。
今回訪問したYUKI SHUDOKAN(勇気修道館)は、ハノイで最も成長を続けている合気会の道場です。ここで指導をされている竹中顕嘉さんが、ベトナムのホテルで日本人観光客に配布されている「スケッチ」という観光案内に勇気修道館を紹介した日本語の文章を寄稿しており、その記事と彼の連絡先がインターネット上に出ていたことから、竹中さんに連絡をし、稽古場所とスケジュールを教えてもらうことができました。
勇気修道館の前進であるAikido VJCC Shudokanはハノイ貿易大学(Foreign Trade University)内にある日本人材協力センター(Vietan-Japan Human Resources Cooperation Center: VJCC)が、日本とベトナムの文化交流活動の一環として、初代センター長であった堀添勝身師範によって2000年11月に設立されました。設立当初は師範の住まいを道場とし、大学の学生と教師あわせて20名程で稽古が行われたそうです。
稽古場所を移転するなどしつつも、師範は2002年に帰国されるまでに修道館の基礎を整えられ、道場生は120人にまで増えました。(道場設立の詳細については、師範の著書「ベトナムで生きてみた―愛犬ムサシが語る元気の国 右手五指の生還記(万葉舎)」に詳しいのでそちらをご覧下さい。)
その後、要田正治氏が代表を引き継ぎ、道場の一期生と協力しながら、日本から数多くの指導者を招聘するなどして、さらに道場を成長させ、修道館をハノイを代表する大道場に育て上げました。過去9年間で登録された会員数は約3000名までになりました。
現在、修道館は勇気修道館として、VJCCとは別組織として活動しており、ハノイ貿易大学の中にある体育館で活動をしています。ちなみに、勇気というのは、堀添師範が大切にしている合い言葉「元気、勇気、合気」からとったそうです。
稽古開始30分前に体育館に行ってみると、中ではバトミントンをしており、合気道をする人たちは観覧席で順番が来るのを静かに待っていました。私も座ってバトミントンの様子を眺めていると、若い人たちが次々とやってきて、稽古が始まる7時頃になると、その数は80人程になりました。
まるで合宿かセミナーのような状態です。9割近くが白帯で、袴をはいているのは数人しかいませんでした。また、3分の1以上が女性でした。メンバーの平均年齢はおそらく20代前半でしょう。年配の方はほとんどいません。
そのため大学の合気道クラブなのかと勘違いしてしまったのですが、竹中さんに確認したところ勇気修道館はいわゆる一般の町道場とのこと。2段クラスの人たちがボランティアで運営をしており、指導は有段者が交代で行うそうです。
準備体操と受身の指導は、その日の技術指導ではない人が担当し、30分以上も時間をかけて念入りに行っていました。これだけ初心者が多いと、受身の練習に時間をかけざるを得ないのでしょう。
最初に訪問した時の指導員は合気道歴9年のディン・ミン・トゥアンさん。稽古内容は、交差取りから、座り技と立ち技の一教の表と裏。足捌きで大きく押し込みながら崩すやり方でした。切れのある鋭い技をしていたと思います。二回目に訪問した時は、竹中さんが指導し、体の転換、片手取り四方投げ、座法片手取り四方投げ、片手取り小手(小葉)返し、片手取り小手返しでした。初心者に分かるようにゆっくり詳しく説明されていました。
トゥアンさん
竹中さん
ここではほとんどの人が白帯なので、どうしても白帯同士の稽古にならざるをえません。指導員が巡回して教えていましたが、人数が多いためすべての人の手を取ることはできていませんでした。これでは上達に相当時間がかかるだろうという印象を持ちました。ただ、白帯と組んで確認してみると、みな素直で良い受けを取っていました。
私は白帯以外に、通訳をしてくれた日本語通訳担当のファム・クァン・フンさん、勇気修道館の指導員の一人であるトラン・キュイ・ヴァンさんなど黒帯と稽古することができました。フンさんは、同大学の日本語講師で、私が自己紹介する時に通訳をしてくれました。ヴァンさんは、見るからにがっしりした体格だったので、小葉返しでバンバン投げたところ、受身の時に少し足首を痛めてしまったようです。もう少し遠慮して優しくやるべきだったと反省しました。
体育館は冷房がなく、空調は扇風機と換気扇だけです。そのため気温と湿度が高く、日本の真夏のようでした。日本の胴着はこちらの気候にあっておらず、中に熱が籠ります。東南アジアの道場ではみな汗で濡れると透けるような薄い胴着を着ていて、正直、羨ましいと思いました。日中、クーラーの効いた部屋で仕事をし、夜に蒸し暑いところで稽古をしたので、疲労がすぐにたまりました。今後、海外の道場を訪問する時は、薄い胴着と、暑さを数字で示す為に、温度計と湿度計を持ってこなければいけないなぁ、と思いました。
右から、持田さん、トゥアンさん、フンさん
右から委員長マンさん、前委員長ハイさん
さて初日の稽古の後、東京の本部道場で稽古されている持田さんが、道場の運営メンバーが集まるカフェに連れて行ってくれました。持田さんは仕事のために年に何ヶ月かハノイにきていらっしゃるそうです。
カフェには勇気修道館の委員長であるマンさんと前委員長であるハイさんも来ていました。この道場には中心となる師範はおらず、若い彼らが事務局の中心となって共同で運営を行っています。
ボランティアが運営している道場は、日本でも「せいぶ館」などの例がありますが、師範クラスの指導者が不在で、これだけの大所帯を維持している道場は聞いたことがありません。みなが仲良く飲んでいる姿から、創立者である堀添師範の志を事務局のメンバーが引き継いで、協力して運営に当たっていると感じました。
二回目の稽古の後には、竹中さんが、地元の居酒屋に連れて行ってくれました。通訳をしてくれたフンさん、仕事でハノイに在住しているドイツ人と道場の女性、リーダー格のヴァンさん、そしてヴァンさんの奥さんが可愛らしい4歳の子供をつれてきていました。ヴァンさん夫妻は道場で知り合って結婚したそうです。勇気修道館ではこれまで5組が結婚しており、カップルも結構いるとのことでした。
フンさんによると、多くの人が雑誌やビデオなどを通じて合気道を知り、この道場の親善的な雰囲気や礼儀作法などの日本文化に惹かれて入門しているそうです。
これまで各国の道場を訪問してきましたが、修道館ほど生徒数が多く、若者が多く、白帯が多い道場は初めてでした。人口の半分が20歳以下であり、若者の生み出す活力が経済成長を支えているといわれるベトナムの姿を道場を通じて垣間見た気がしました。この白帯の人たち全員がずっと稽古を続けて行くかどうかは分かりません。
しかし、もしその1割でも稽古を継続していけば、10年後、20年後にはこの国は大変な合気道大国になるのではないだろうか、と想像を膨らませました。 今後も若い彼らが推進力となって、合気道はベトナムにどんどん広まって行くに違いありません。