大韓合気道会本部道場
「ふれあい塾」主催の韓国合宿に参加し、ソウルにある大韓合気道会本部道場で合同稽古をしてきました。今回の合宿は、釜山出身の朴ちゃんの母国で合宿をやろうじゃないか、という飲み屋談義に端を発したものです。
合宿のアイディアが持ち上がった時には、そもそも韓国に合気道の道場があるのかどうか誰も知らず、どうやらハプキドウという合気道と同じ漢字表記の武道があるらしいという噂しか聞いた事がなかった状態でしたが、朴ちゃんと今井さんが合気会の本部道場に問い合わせたり韓国のホームページを検索するなどして情報収集し、大韓合気道会と連絡を取ることに成功してついに実現したものです。
観光も含めた三泊四日のスケジュールであったため仕事の都合がつかず参加できなかった人もいましたが、最終的に、ふれあい塾、千代田区合気会、明治大学教職員合気道倶楽部から計13名が集まり、以前千代田で稽古をしていた朴ちゃんの弟も釜山から参加しました。合同稽古は本部道場にて6月9日18:30~20:00、6月10日10:00~11:30及び18:30~20:00の合計3回行われました。
大韓合気道会本部道場は、その名が示す通り韓国における合気会の中心であり、尹翼岩(ユン・インアン)先生が道場長として指導されています。この会にはソウルにある複数の直轄道場以外に、大邱、光州、釜山、済州、昌原など11の場所に関連道場があり、韓国国内において積極的に合気道の普及に努めています。
昨年1年間だけでも、韓国内5ヶ所で特別講習会を実施、海外から先生を招聘し講習会を6回開催、また会指導員の実力養成のための本部道場特別研修会を8回執り行うなど活発な活動実績をあげています。また海外との交流も幅広く、日本はもちろんの事、アメリカ、カナダ、イギリス、ハンガリー、台湾、スウェーデン、フィンランド、スロバキア、タイの団体と友好関係を維持されています。
私たちはホテル到着後、水などの買出しを急いで済ませ駆け足で道場に向かいました。道場は大学が多数集まる新村(シンチョン)にあります。新村のロータリーから梨大駅方面に数メートル歩いて左を見上げると黄色い看板にAIKIDOの文字が見えるので場所はすぐにわかりました。この看板のあるビルの地下1階が道場でした。
AIKIDOと書いた大きな看板に圧倒されつつ階段を下り道場に入ると、ユン先生、ユン先生の奥様、そして道場生が私たちを歓迎してくれました。道場の広さは40畳から50畳弱。思ったより広くありません。床一面が緑色のマットに覆われており、これが蛍光灯の光を反射し室内が薄い緑色に見えました。
正面には韓国の国旗を挟んで開祖と小林師範の写真、そして「吾勝」の書が飾られていて、下座側には道場生の道着がずらりと干してありました。また壁には木刀が多数かけてあり、その磨り減り方から武器の稽古もそうとうやっている事が推測できました。
ここで大韓合気道会代表のユン先生を紹介しておきましょう。先生は1960年生れ。現在合気道4段。父親の影響で幼少の頃から武道に興味をもち、テコンドウ、剣道、ハプキドウ、空手、キックボクシングなど様々な武道、格闘技を修行されてきました。テコンドウは5段まで取得し軍隊で指導もされていたそうです。
またムエタイを韓国で初めてプロモートしたという経歴もお持ちと聞きました。先生が合気道に邂逅したのは1988年12月のことでした。Korean Samsan Martial Art General Associationの代表として台北を訪問した折、そこで漢字で書くとハプキドウと同じ名前をもつ合気道に初めて出会ったのです。
その時、中華龍山合気道連盟代表の呉金龍先生に小林保雄師範を紹介され、翌年小林道場20周年記念セミナーで初めて小林師範の合気道に接し、その素晴らしさに衝撃を受けすっかり合気道に魅了されてしまったそうです。爾来、小林師範に師事し合気道一筋の生活を送ってこられました。
第一日目
さて、合同練習中、本来ならば訪問した私達がユン先生の指導を受けるべきだったのですが、先生は私たちの代表である「ふれあい塾」塾長の石橋さんに指導の機会を与えて下さいました。おそらく生徒たちにいつもと違う技を経験させたいという指導者としての配慮があったのだと思います。
稽古が始まる直前まで、韓国グループと日本グループはかたまって座っていました。初対面という事でお互いに多少の遠慮があったのでしょう。それを見たユン先生は「できるだけ日本人と組むように」と生徒に指示され交流を促してくださいました。先生は稽古中も道場の端から全体を見渡して私たちの動きを注意深く観察されていました。
私たちの技はこの道場のスタイルと違うため、練習が上手く成立しないのではないか、怪我が起こるのではないかと心配されていたのかもしれません。あるいは私たちがどのようなスタイルの合気道をするのか注意深く観察されていたのかもしれません。いずれにしろユン先生は指導者として目配りがきいていると感じました。
小林師範の系統と故山口師範の系統ではスタイルが違うとはいえ、 実際に稽古をしてみると各人がそれぞれの方法でお互いの動きに適応し、技を成立させていました。双方とも開祖を源流とした合気会系の合気道ということもあり、大きな混乱は起こりませんでした。
初日の稽古終了後、ユン先生の息子さんがバイトをしている店で親睦会が催されました。料理はサムゲプサルといういわゆる韓国式豚肉BBQでした。韓国焼肉といえば私たちは牛肉を思い浮かべがちですが、朴ちゃんに言わせると豚肉の方が人気があるそうです。
キムチやケジャンなどのつきだしが充実しており、肉を巻く野菜もたっぷりあって大変満足しました。私たちは初日早々その本領を発揮して、70本近いビール瓶を空にし、出されたものをペロリと平らげてしまいました。
私の席の近くには日本語や英語を話せる若い人たちが座ってくれたおかげで、不自由なく意思疎通をはかることができました。合気道のことだけでなく、いま韓国で流行っている日本のアニメ「ケロロ軍曹」のことなどが話題になり大いに盛り上がりました。他の席でもコップ片手に合気道に対する熱い思いが語られたようです。
第二日目
2日目の午前中は、前半をユン先生が後半を石橋さんが指導することになりました。ユン先生が指導された技をリストにすると次のようになります。
1.逆半身で手を触れ合って転換(複数を連続で)
2.片手取り正面打ちに対する入身(複数)
3.片手取り二教(横に捌く、表と裏)
4.片手取り転換から呼吸投げ(前、後)
5.片手取り正面打ち呼吸投げ(天地投げのような形)
6.片手取り二教(掴まずにかける変化技)
7.一教から四教までの連続技
8.両手取り呼吸法(受けが万歳したところを両手取りする)
一つ目と二つ目の運動は転換と入身を身につけるための稽古法で、足捌きを身につけるのにとてもよい方法だと感じました。5番目の技は、斎藤守弘師範の「武産合気道 第三巻 基本技術編Ⅲ」に片手取り天地投げとして載っている技で、6番目の二教は、同じく斎藤師範の「武産合気道 第一巻 基本技術編Ⅰ」に片手取り二教変化(3)として載っている技でした。
ユン先生はそれほど背が高くありませんが、がっちりとした体格でどの技にも迫力がありました。先生の技はどれもまさに合気道のものであり、他の武道の技が混ざっているということは全く感じられません。重みがあるけれども足捌きが明確で大きく、姿勢がよく前にむけてスッと手や気持ちが延びていたと思います。先生の指導時間が40分だけだったのは残念でなりません。
午前中稽古した中では、袴をはいている欧米人二人のレベルが他の人より高かったようです。興味を覚えたので、そのうちの一人に後で話を聞くと、いまは在韓米軍で働いておりこれまで各国で合気道をしてきたそうです。千代田区合気会は増田師範の管轄だと説明すると、ハワイにいたときに師範の講習会に出たことがあるといって喜んでいました。
この日はちょうど本部道場特別研修会に重なっていたため、韓国各地から会指導員や生徒が参集し、夕方になると有段者の数が増えました。有段者の面持ちは真剣で初日とは明らかに道場の雰囲気が違いました。石橋さんは、何を指導するか思案した結果、剣を持ってする体術を選ばれました。
具体的には、剣を持った取りに対して受けが手をとりに行き、転換からの崩し、四方投げ、回転投げ、呼吸投げなどを行うというものです。人数の割に道場が狭かったため、いくつかのグループに分かれて練習することになったのですが、それでも周りに気を使いながらの練習になってしまい、回数でも気分的にも不消化に終わってしまいました。術理が分かる良い稽古法なので広いところで伸び伸びとやれれば良かったのにと残念です。
白帯や袴の人と満遍なく組んでみて感じたのは、ここの生徒はみな受けに無理がないということでした。一緒に行った女性の中には「相手の力が強くて大変だった」と洩らしていた人もいましたが、私は全く気になりませんでした。むしろ身体を固めないちゃんとした受けをとっているので感心したぐらいです。
特に小林道場で短期ながら内弟子を経験したことのある人たちは筋の良い合気道をしていました。またできない技があったときにはどうやってやっているのかなんとか理解しようとしていました。
二日目の稽古にはいろいろなレベルの人が各地から集まっていたので印象を一言でいうのは難しいのですが、あえていえば全体的に「若い」という印象をもちました。これは若い男性の割合が高く、体育会系のような雰囲気がしたからでしょう。50歳を超える年配の人は一人もおらず、女性もほとんどいませんでした。
聞いてみると韓国では女性が武道をすることは余りなく、本部道場でも女性はまだ5名ほどしかいないということでした。一方、日本から訪問したメンバーは20代の若者から60代まで男女両方で構成されていたので、そのバラエティの広さ(?)に彼らは感心していました。
ユン先生のリクエストにより、合同稽古の締めくくりとして石橋さんと明治大学教職員合気道倶楽部の佐藤監督が演武を行いました。いつになく気合がはいっていたのか、非常に切れのある鋭い演武で受けをとるのも必死でした。
その後、道場に机を並べてビールパーティが開かれました。何度も乾杯が繰り返され、日本の合宿と同じようにあちこちで技の説明が始まりました。またワールドカップの試合が近いこともあり、韓国と日本のエールの交換まで飛び出し、前日にも増して大いに盛り上がりました。
私たちはユン先生の奥様やその他の酒豪たちに勧められるまま乾杯を繰り返し、すっかり酔っ払ってしまいました。道場でのパーティは11時にお開きになったのですが、その後二次会に突入し、道場の近くの店で深夜2時ごろまで合気道談義が続きました。これほど楽しい飲み会はめったにあるものではありません。この合宿に参加できなかった人は大いに後悔してよいと思います。
さてこのパーティで私は何人かと合気道の話をしましたが、中でも石橋さんの技を見て故山口師範の系列だと気がついた成周桓(ソン・ジュファン)という人に驚きました。彼は現役の警察官で、合気道や日本の武道について理解を深めたいと日本語を独学し、その結果、流暢な日本語を話せるようになったそうです。
1997年に彼が立ち上げた合気道のホームページがあり、私は来韓前にそれを韓日web自動翻訳で読んでいました。おもしろい内容なので是非管理人に会ってみたいと思っていたらそれが彼でした。日本の武道事情にやたらと詳しく、何でも知っているという感じだったので韓国一の武道オタクという称号をあげました。
彼によると韓国で合気道を稽古している人は、既にテコンドウ、ハプキドウ、ボクシングなど既に別の武道や格闘技を経験した事がある人が多いとのこと。彼自身もハプキドウをやっていたが、バク転など武術として余り意味のない動きをさせられ腰を痛めたので止めてしまったそうです。
韓国の格闘技は概して暴力による解決を肯定する傾向が強く、それが日常生活における暴力沙汰の原因になっていると思うと話してくれました。
今回、韓国各地から集まってきた合気道家と話ができたのは素晴らしい経験でした。おそらく10年か15年後にはこの若い人たちが中核になり韓国の合気道界は今以上に発展しているに違いありません。合気道の旅で一番うれしいのはこうして新しい友人が海外にできることです。
大韓合気道会の人たちとは今後も交流を続けていくことを誓いあいました。隣の国ですから必ず会う機会がすぐにくるでしょう。その時私たちは、今回の合宿よりも、もっと稽古をしてもっと飲んでもっと話をするに違いありません。