マキリン・セント・トーマス道場
昔、週刊少年サンデーという雑誌に「拳児」という漫画が連載されていたのをご存知ですか?
幼少時代に祖父から八極拳を学んだ主人公・剛拳児が、中国で行方不明になってしまった祖父を探すため、武術修行をしながら台湾・香港を経由し中国大陸を旅するという話です。
連載当時、私は合気道を始めて数年経った頃で、母が陳式太極拳を学んでいたことから、大東流合気柔術の武田惣角先生や佐川幸義先生(漫画の中では佐上幸義と名前が変えてありました)、陳式太極拳の達人・陳発科のエピソードにわくわくしたことを今でも覚えています。
さて、この漫画の第13巻で、秘密結社の一員となった拳児が河北省滄州に潜入し、まだ出会ったことのない同門の武術家と連絡を取るというシーンがありました。茶館でお茶を頼み、茶碗を使った暗号(湯のみに蓋を立て掛ける)を使って、ひたすら同門の武術家に気づかれるのを待つというものでした。この暗号を「茶碗陣」というそうです。拳児は茶碗陣によって八極拳士である朱勇徳(モデルは強氏八極拳の朱宝徳)と出会います。
私が海外の道場を訪問するようになった1990年代は、現在のようにインターネットが十分に普及していなかったため、現地に実際に行って電話帳を繰り、道場の電話番号や住所を調べたり、大学に飛び込みで訪れて合気道部を探したり、人づてに道場を探したり、それは大変な苦労をしました。合気道には茶碗陣のような暗号はありませんから、喫茶店でじっと待っていれば同門の者が声をかけてくれる、ということもありませんでした。
いま、私たちが海外の合気道の同門(合気会)の人と連絡を取る時、以前ほど困難はありません。たいていの道場はウェブサイトを持っており、メールを送れば直ぐに連絡を取ることができます。今回も事前にメールを送って代表者とやり取りをしていたため、普通に会えるはずでした。
訪問しようとしていたのは、フィリピンのバタンガス州セント・トーマス市にあるマキリン・セント・トーマス道場です。
セント・トーマス市は、マニラの中心部から約50km、ラグナ州との境界に位置し、約10万人が暮らす都市です。第一フィリピン工業団地というフィリピンを代表する工業団地があり多くの日系企業が進出しています。
この道場はマキリン合気道インターナショナルという道場連合の1支部道場で、指導者はロドルフォ・フンダリオ(Rodolfo Fundario)先生(3段)です。マキリン合気道インターナショナルの傘下道場は12あり、代表者はハビエル・バイロン(Xavier Baylon)先生(5段)。マキリンの名前の由来は、この地域にあるマキリン山(最初の写真)。活火山で、海抜1,090メートル。セント・トーマス市からもその勇姿がよく見えました。
私はマキリン山の麓にある第一フィリピン工業団地内にあるホテルに滞在することになっていたので、代表者のバイロン先生に火曜日の18時半にホテルに迎えに来てくれるようにお願いし、弟子を迎えに行かせると返事を得ていました。
当日、18時頃からロビーで待ちました。
しかし誰もホテルに迎えにくる気配がありません。「茶碗陣」として黒帯を机の上に置いてみました。ちらりと一瞥する人はいましたが、一向に誰も声をかけてきません。結局、18時半を過ぎても合気道家らしき人は全く現れませんでした。
そこで先生の携帯に電話を掛けたところ、「あれ、君は今どこにいるの?えっ、マニラじゃない!?いや~ごめんごめん、マキリン・セント・トーマス道場の練習は火曜日じゃなくて明日水曜日なんだ。明日の夕方6時に弟子を迎えに行かせるね。」と言われました。いやぁ、フィリピンらしい(笑)!
翌日、黒帯を目印として机の上に置いてロビーで待っていると、カビテ市の道場で指導しているダニエル・パヌンツィオ(Daniel J. Panuncio)先生(2段、下の写真)が、黒帯に気がついて声をかけてくれました。ダン先生は近くの工業団地にある日系企業の工場で働く管理職で、私の仕事のこともご存知でした。
ダン先生は現在合気会の2段。
合気道歴は長く、あちこちの流派で稽古をしたことがあり、フィリピン発祥のコンバット・アイキドーも7年ほどやったことがあるそうです。ダン先生によると、コンバット・アイキドーを始めたアンブロシオ・J・ガヴィレノ氏と、一緒に合気道の稽古をしたこともあるとのこと。
ガヴィレノ氏は当地の大学の授業で合気道を教えたかったが、既に柔道、空手道など日本の武道が多数指導されており認められなかったことから、合気道をもとにコンバット・アイキドーという武術を創作したそうです。現在は、他の合気道団体から孤立しており、交流はないとのことでした。
その他、フィリピンにはいろいろな合気道団体があるそうで、道場に行く車中で説明をされたのですが、複雑すぎてよくわかりませんでした。ただ、マキリン合気道インターナショナルは合気会の、それも特に本部道場の技術を練習している道場であることはわかりました。
道場の建物は、道に面した所が小さな食堂になっていて、その奥がインターネットカフェ、更に奥に入るとウェイトトレーニングができるジムになっており、そのジムの二階が道場という構造でした。下に敷いてあるのは柔らかなマットで壁には大きな鏡と、木刀掛けがありました。
稽古開始時間はスケジュールでは夕方7時でしたが、フンダリオ先生(下の写真)や近隣の道場の人たちが集まるのを準備体操や受け身の練習をしながら30分ほど待って実際の練習が始まりました。全員で10名程度。子供も何人かいてたのしい稽古になりました。
片手取りの呼吸法、呼吸投げ、正面打ち入身投げ、一教の表と裏など基本技をじっくりと練習しました。フンダリオ先生の技は、東京の本部道場で指導しているものと全く同じで、嬉しいやらびっくりするやら。また、生徒が技を多面的に見れるように、立ち位置を90度ずつ変えて同じ技を見せるやり方は、フランスの先生方と同じでした。(←これはとても良い指導方法なので、日本でも是非真似してほしいですね)
フィリピンの3段なので、もしかしたらたいしたレベルではないと考える人が日本にはいるかも知れません。
しかし、それは誤解です。
日本で3段を取るのと、海外で3段を取るのとでは、明らかに海外の方が難しいからです。例えば、このマキリン合気道インターナショナルのトップであるバイロン先生が5段ですから、その下で稽古を積んでいる人たちは、5段が天井となって、それ以上の段位に上がることは実質上できません。
したがって、合気道歴十年を遥に超える人が初段や2段であることは海外ではざらであり、私の海外道場訪問経験から言っても、日本の段位と海外の段位の実力はほぼ同じか、時には海外の方が高いケースもあるのです。
私は、実力は国際水準で考えるべきであり、自分が所属している道場を基準として自分のレベルを把握してはいけない、と考えています。世界にはいくらでも上手い人はいるのですから。